現在でもドラマで活躍中の女優・石野真子さんと『乾杯』『幸せになろうよ』でもお馴染みの歌手・長渕剛さん。
有名人の2人は昔、夫婦だったのをご存じなかたも多いのではないでしょうか?
今回は石野真子さんと長渕剛さんが結婚した馴れ初めと離婚した理由をまとめて紹介したいと思います。
石野真子と長渕剛の結婚の馴れ初め
長渕剛は石野真子のファンだった
石野真子さんと長渕剛さんの交際のきっかけは1980年に放送されたラジオ番組『長渕剛のオールナイトニッポン』ですが、共演以前から交際してたのではないかと言われてます。
2人が共演したラジオ番組はこちらにあります。
初対面とは思えない仲の良さそうな2人。
番組の内容はなんと長渕剛さんが石野真子さんに「好きかい?」「うん。」と公開ナンパしているのです。
実は長渕剛さんは以前から石野真子さんのファンで、当時番組の構成作家だった秋元康さんにお願いして共演をセッティングされたものでした。
石野真子さんは今はドラマでお母さん役のイメージが強いですが、若い頃は人気アイドルでした。
石野真子さんは芸能界デビューする前から男性ファンが多く、「真子ちゃーん。」と叫ばれていたほどです。
彼女のファンは、ダウンタウンの浜田雅功さん、爆笑問題の太田光さん、俳優の沢村一樹など有名人も多いです。
長渕剛さんがラジオで流してた曲『プライベート』の歌詞が八重歯がこんなに笑うから~君の笑顔僕ひとりのもの~が石野真子さんに向けたように聞こえます。
石野真子と長渕剛の婚約会見
1981年6月に石野真子さんは結婚を前提に長渕剛さんとの交際を発表し、8月に芸能界を引退しました。
そして同年の9月に婚約会見が行われました。
石野真子さんは幸せな結婚をして家庭を築くことが夢でした。
また、長渕剛さんから「家庭に入って欲しい」との希望から迷うことなく芸能界を辞めたそうです。
ハワイでの挙式
1982年1月22日に石野真子さんと長渕剛さんの挙式はハワイで行われました。
当初は同年の1月15日にロサンゼルスのウェイフェラーズチャペルで行われる予定でしたが、長渕剛さんのお母さんの体調不良のため、また、石野真子さんが二十歳の花嫁に憧れて自身の誕生日1月31日の21歳を迎える前までに結婚したいとの思いから急遽変更になりました。
下の動画が石野真子さんと長渕剛さんの挙式の様子です。
石野真子さんと長渕剛さんの結婚式の仲人を務めていたのは当時夫婦だった、吉田拓郎さんと浅田美代子さんでした。
吉田拓郎さんは石野真子さんのデビュー当時の楽曲提供者で彼女の恩師でもありました。
2人とも緊張した様子です。
石野真子が離婚したのは長渕剛からの暴力だった⁉
1983年5月、1年4か月で2人は離婚しました。
噂によると長渕剛さんが石野真子さんに暴力を振るっていたそうです。
石野真子さんが台所で鼻歌を歌っているだけで長渕剛さんがお母さんが病気の寝込みのため不謹慎だと頬を叩いたそうです。
また、石野真子さんは姑とも不仲の噂がありました。
長渕剛さんのお母さんは芸能界をやめて家庭に専念してほしかったのに対し、石野真子さんは芸能界を続けたいといざこざがありました。
挙式直前に空港でのインタビューでも既に姑との不仲がコメントされています。
石野真子さんは1983年3月に別居し離婚、その後記者会見が行われました。
長渕剛さんからの暴力を否定してた石野真子さん。
挙式直後に「やっと自分のものになった。うちはもう亭主関白でいきます!」とコメントした長渕剛さん。
実は挙式の時にも、石野真子さんに「バカ野郎!」と叫んだり、ムカついたカメラマンに蹴り飛ばし真子さんが怯えていたとの話もありました。
2人の仲は挙式の時から既に仲が冷えていたようです。
石野真子と長渕剛は離婚後も共演してた
石野真子さんと長渕剛さんは離婚後に番組で共演してました。
1986年8月7日の『ザベストテン』の番組です。
長渕剛さんが「元気?」と声をかけると「元気(笑)」と緊張した笑顔で返す石野真子さん。
今だったら考えられないような組み合わせですね。
石野真子と長渕剛の現在
長渕剛さんは元女優の志穂美悦子さんと再婚、石野真子さんは元俳優の広岡舜さんと再婚しましたが離婚し、女優として活躍しております。
今回は長渕剛さんと石野真子さんの結婚の馴れ初めと離婚理由をまとめて紹介しました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。