アランドロンの家族は子供が4人で結婚歴が2回!伴侶ヒロミロランは誰?

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映画『太陽がいっぱい』の主演などで活躍してきたフランスの世界的スター・アラン・ドロンさん。

アラン・ドロンさんには3人の子供がいます。

また、アラン・ドロンさんには最後のパートナーである女性がいます。

それは日本人女性のヒロミ・ロランです。

今回は、アラン・ドロンさんの家族とパートナーのヒロミさんについてまとめて紹介したいと思います。

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目次

アラン・ドロンの子供は4人

アラン・ドロンさんには4人の子供がいます。

  • 長男:クリスティアン・アーロン(母:ニコ)
  • 次男:アントニー・ドロン(母:ナタリー・ドロン)
  • 長女:アヌーシュカ・ドロン(母:ロザリー・ファン・ブレーメン)
  • 三男:アラン・ファビアン・ドロン(母:ロザリー・ファン・ブレーメン)

これからアラン・ドロンさんの4人の子を1人ずつ紹介します。

長男:クリスティアン・アーロン

クリスティアン・アーロン
  • 生年月日:1962年8月11日
  • 出身地:フランスパリ
  • 職業:俳優、写真家

アラン・ドロンさんの子を紹介します。

アラン・ドロンさんには認知してない息子がいました。

アラン・ドロンさんの長男クリスティアン・アーロンさんは俳優写真家として活動しており、不遇の幼少時代を過ごしていました。

クリスティアンさんの母はドイツ人モデル・歌手のニコさんです。

ニコさんとアラン・ドロンさんは恋愛関係ではなく、一時の関係だったようです。

アラン・ドロンさんはニコさんが生んだ息子を自分の子として認めてもらえず、クリスティアンさんはアランさんの母いわば祖母とその再婚相手に引き取られ、育てられました。

クリスティアンさんはアラン・ドロンさんを法的に息子として認めてもらえるよう訴訟しましたが、敗訴。

クリスティアン・アーロンは2023年5月20日に世を去りました。

原因はヘロインの過剰摂取で昔から母ニコさんの影響で薬中依存症でした。

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次男:アントニー・ドロン

アントニー・ドロン
  • 名前:Anthony Delon
  • 生年月日:1964年9月30日
  • 出身地:アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス
  • 職業:俳優

アラン・ドロンさんの次男はアントニー・ドロンさんです。

アントニー・ドロンさんは俳優で、レザージャケットのブランド『Anthony Delon 1985』も立ち上げています。

アントニーさんの店舗はフランスとヨーロッパ合わせて130店舗もあるそうですよ。

アントニー・ドロンさんとアラン・ドロンさんは長年にわたる確執がありました。

アラン・ドロンさんの教育は非常に厳しく、幼少期のアントニーさんを犬と一緒に閉じ込めたり、食事のマナーが悪いと鞭で打っていたそうです。

現在の日本だったら、虐待ですよね。

アントニー・ドロンさんが4歳の時に両親が離婚。

母親のナタリーさんは、女優で忙しく息子に構う時間がほとんどありませんでした。

そんな両親にあまり愛されなかった幼少期のせいか、反抗期を迎えます。

厳しい規則に縛られた学校や寮生活に反発し度重なる転校を重ね、18歳には車を盗み、武器を転売しようとしたことで、1か月投獄されました。

出所後にレザージャケットのブランドを立ち上げますが、また父と対立。

ブランド名が『A. Delon』で父アラン・ドロンさんのイニシャル”A”になるからです。

アランさんはブランド名の使用を禁止し、訴訟などにも発展し2人の間に大きな亀裂ができました。

アントニー・ドロンさんは父と同じ俳優になりますが、そこでも父親と比べられることが多く苦労しました。

33歳のときに映画『原色パリ図鑑』の主演で成功をおさめ、テレビや舞台で活躍しています。

2006年にソフィー・クレリコさんと結婚し、長女のルー・ドロンさんと次女のリヴ・ドロンさんが生まれましたが2012年に離婚。

2人の娘はアントニー・ドロンさんが引き取り、シングルファーザーとして養育しました。

世界的人気俳優の息子に生まれながら苦労されたようですね。

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長女:アヌーシュカ・ドロン

アヌーシュカ・ドロン
  • 名前:Anouchka Delon
  • 生年月日:1990年11月25日
  • 職業:女優

アントニー・ドロンさんの娘はアヌーシュカ・ドロンさんです。

兄のアントニー・ドロンさんとは26歳も年が離れています。

アヌーシュカ・ドロンさんも俳優として活動していました。

2008年のパリコレで芸能界デビューし、父のアラン・ドロンさんとは映画や舞台で共演してきました。

2019年11月に妊娠し、2021年には息子の父親と結婚しました。

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三男:アラン・ファビアン・ドロン

アラン・ファビアン・ドロン
  • 名前:Alain-Fabien Delon
  • 生年月日:1994年3月18日
  • 職業:俳優、モデル

アントニー・ドロンさんの2人目の息子はアラン・ファビアン・ドロンさんです。

アラン・ファビアン・ドロンさんはモデル・俳優として活動しています。

これまでに、VOGUE HOMMESの表紙を飾ったり、グッチやディオールのモデルを務めたりしました。

出演作の映画『Les Rencontres d’apres minuit』は第66回カンヌ国際映画祭で特別上映され、濃厚なラブシーンが話題となりました。

2011年にスイスの自宅で、親不在の際に開催したパーティで少女に重傷を負わせる発砲事件を起こし、映画出演のギャラは弁護士費用にあてたと明かしていました。

アラン・ファビアン・ドロンさんは容姿端麗な両親に生まれたこともあり、父親譲りのイケメンで身長が185cmもあるそうです。

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アラン・ドロンの結婚歴は2回

アラン・ドロンさんは2度結婚歴があります。

  • 1人目の妻:ナタリー・ドロン
  • 2人目の妻:ロザリー・ファン・ブレーメン

これからアラン・ドロンさんの2人の奥さんも紹介したいと思います。

1人目の妻:ナタリー・ドロン

ナタリー・ドロン
  • 名前:Nathalie Delon
  • 本名:フランシーヌ・カノヴァ
  • 生年月日:1941年8月1日
  • 職業:女優、映画監督

アラン・ドロンさんの1人目の妻はナタリー・ドロンさんです。

ナタリー・ドロンさんはアラン・ドロンさんと結婚するまえに離婚しており、前夫との間には娘がいます。

離婚後はモデル兼カメラマンとして活動していました。

アラン・ドロンさんと出会ったのは1963年映画『黒いチューリップ』の撮影でした。

ナタリーさんもアランと同様に苦労した生い立ちし、同じ境遇なのもありお互い惹かれ合い1964年に再婚。

同じ年に息子のアントニー・ドロンさんを生みました。

1967年に映画『サムライ』で女優デビューし、その後も女優を続けたいと希望しましたが、アラン・ドロンさんに反対。

それが原因で衝突となり、1969年に離婚しました。

離婚後もアラン・ドロンさんと共演したので、2人の仲は離婚後も悪くなかったようです。

1982年に映画監督としてデビューし、2008年に女優業を復帰しましたが、2021年に膵臓癌で世を去りました。

没年79歳です。

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2人目の妻:ロザリー・ファン・ブレーメン

ロザリー・ファン・ブレーメン
  • 名前:Rosalie van Breemen
  • 生年月日:1966年8月2日
  • 職業:ジャーナリスト、モデル、タレント

アラン・ドロンさんの2人目の妻:ロザリー・ファン・ブレーメンさんはオランダ出身の元モデルのタレント、ジャーナリストです。

夫のアラン・ドロンさんより31歳年下のアランさんの長男アントニー・ドロンさんより2歳年下です。

ロザリー・ファン・ブレーメンさんは”ミスインターナショナル”や”ミスワールド”で優勝した経歴を持つ美貌の持ち主です。

夫のアラン・ドロンさんとは1987年に出会いました。

2人は事実婚の関係で、籍は入れてないです。

2人の間にはアヌーシュカ・ドロンさんとアラン・ファビアン・ドロンさんが生まれましたが、2002年に離婚をしました。

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アラン・ドロンの最後の伴侶:ヒロミ・ロラン

ヒロミ・ロランは助監督で最後のパートナー

アラン・ドロンさんの一家の3人の子供と法廷で争ったある女性がいました。

その人はヒロミ・ロランさんという日本人女性です。

ヒロミ・ロランさんは980年代から1990年代にかけて多くのフランス映画でセカンドやサードの助監督を務めていました。

アラン・ドロンさんと出会ったのは1992年の映画『カサノヴァの最後の恋』でした。

ヒロミ・ロランさんは映画の助監督やアラン・ドロンさんのアシスタントも務め、そこから親しくなったようです。

2003年にアラン・ドロンさんの自宅で秘書として住み込むようになりました。

2人の関係はテレビのインタビューで抱きしめたり、アラン・ドロンさんの息子が出演した映画の上映会の席では手を重ねたりと恋人同士のように親しかったようです。

2019年のアラン・ドロンさんが脳卒中で療養したときはヒロミ・ロランさんが世話をしていました。

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ヒロミ・ロランとアランの子が法廷闘争

ヒロミ・ロランさんとアラン・ドロンさんの子供たちとは療養中に確執が起きたようです。

アラン・ドロンさんの3人の子供はヒロミ・ロランさんのことを父のパートナーとして認めず、”侍女”と強調し、ヒロミさんのことをアランさんに対するモラハラ、動物を虐待したとして悪評を広め裁判に告訴しました。

担当弁護士によると、2019年6月、ドロンが脳卒中で倒れて以来“付き添い”をしていた彼女は、次第にその地位を高めていき、ドロンと子供たちに対して攻撃的になり、中傷や侮辱をするようになったそうです。ドロンを友人や家族から遠ざけ、電話も取り次ごうとしない。ドロン宛の郵便物も取り上げ、彼の愛犬ルーボを殴ったり、蹴ったり、スタンガンで撃ったりしているというのです

デイリー新潮

これに対し、ヒロミ・ロランさんは3人の子供に対抗し、全てを持ち出すことも許されず、暴力的に追い出されたとして告訴しました。

5日にドロン邸を追い出された際、彼女は警備員からの暴力を受けケガをしたと主張しています。その暴力は子供たちが先導した集団暴力だったと。さらに、彼女の財産のほとんどがドロン邸に残っているそうで、それらを返還しないのは窃盗罪であり、ドロンに対するモラハラや暴力行為といった告発は誣告罪(ぶこくざい)に当たるという主張です

デイリー新潮

そして結果は2024年1月4日に検察側が嫌疑不十分でヒロミ・ロランさんを不起訴したのです。

この背景には遺産相続の目当てで娘のアヌーシュカ・ドロンさんが絡んでいるのではないかと、アントニー・ドロンさんが妹を告訴。

アヌーシュカ・ドロンさんもこれには黙っていられなく兄を名誉毀損として告訴し、兄妹同士の争いが続いているようです。

今回はアラン・ドロンさんの家族について紹介しました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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