第102代内閣総理大臣に就任された石破茂さん。
石破茂さんは元三井住友銀行の銀行員でした。
銀行員時代の石破茂さんはどんな人だったのでしょうか。
今回は銀行員時代の若い頃の画像と仕事ぶりを紹介したいと思います。
石破茂は元三井銀行の銀行員
銀行員になったのは父からの反対
石破茂さんは慶応義塾大学に卒業後、三井銀行(現在の三井住友銀行)に就職しました。
銀行員になった動機は2つあったようです。
1つ目は父・石破二朗さんからの反対でした。
初めは憧れの新聞記者か好きな鉄道の仕事である国鉄に就職したかった石破茂さん。
しかし、父の石破二朗さんから反対されたのでした。
その理由は「ジャーナリストは人を批判してばかりいる仕事」「国鉄はそのうち潰れる」だからそうです。
どちらも却下されてしまい、話し合った結果が銀行に就職すると決まりました。
もう一つの理由は妻・佳子さんとの結婚
もう一つの理由は現在の妻・石破佳子さんの存在でした。
元々は大学の同級生だった石破茂さんと佳子さん。
石破茂さんは佳子さんに一目惚れしてしまい、彼女と結婚するために安定した銀行に勤めようと就職を決め、告白しましたが、見事に断られました。
石破茂の若いころの仕事ぶりは?
若い頃の画像を公開
三井住友銀行 日本橋支店 〒103-0022 東京都中央区日本橋室町2丁目1−1
石破茂さんが三井銀行に就職したのは1979年でした。
下の写真は銀行員時代の石破茂さんです。
若いけど今とそこまで印象が変わってないと思います。
苦労した銀行員時代
配属は日本橋本町支店で初任給は8万円弱でした。
銀行員時代は毎日残業で23時より早く帰ったことがほとんどなかったそうです。
特に苦労したのは下の画像にある計算機(現在の電卓)の使いこなしとお札の数え方でした。
石破茂さんは毎朝7時30分に出勤し、練習していたとのことです。
そのかいがあって、2か月後には同期の新入社員のなかで2番目に選ばれたそうです。
そこからの石破茂さんの仕事は倉庫の片づけや出納係でした。
出納係は
- 大口の引き出し依頼に金庫から現金を出す
- ATMに現金を補充
- 15時には集計
と毎日作業に追われ、最終的に全体の集計が合わないと合うまで帰れない仕事です。
これを半年くらい続け、その後は窓口の社員の後ろでコンピュータの端末を叩き、これも半年続けてました。
そんな大手銀行で忙しい毎日を過ごしてきたのは4年ほどでした。
石破茂はなぜ銀行員から政治家になった?
銀行員から政治家へと転身した石破茂さん。
石破茂さんはなぜ政界入りする決意をしたのでしょうか。
石破茂さんが政界入りするきっかけになったのは父・石破二朗さんが亡くなったからです。
石破二朗さんが亡くなったのは1981年9月です。
石破二朗さんが世を去ったの機に政治家になるのをすすめたのは田中槇子さんの父で元首相の田中角栄さんです。
田中角栄さんは石破二朗さんの友人でした。
田中角栄さんは石破二朗さんの葬儀委員長を務め、石破茂さんがお礼に伺うと
「鳥取の葬式に来てくれた2500人全員に、名刺持参で会葬御礼に回れ。それが選挙の基本だ」
NEWSポストセブン
いきなり石破茂さんに命令してきたのです。
石破茂さんは躊躇すると
「誰が参議院に出ろって言った。君は衆議院に出るんだ。いいか、よく聞け。政治家ほど面白い仕事はないぞ。日本で起こる全てのことはこの目白で決めるんだ!」
NEWSポストセブン
と一喝してきました。
この出来事が石破茂さんが政治家に転身した転機になったのでした。
今回は石破茂さんの銀行員時代について紹介しました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。