銀行員から政治家として活躍中の石丸伸二さん。
石丸伸二さんの三菱UFJ銀行の役職や仕事ぶりはどのくらい凄かったのでしょうか。
今回は石丸伸二さんの
- 三菱UFJ銀行時代の役職
- 三菱UFJ銀行時代の経歴
- 三菱UFJ銀行時代の年収
についてまとめて紹介したいと思います。
三菱UFJ銀行に勤務していた頃の石丸伸二
役職はアナリスト
現在、広島県の安芸高田市長を退任した石丸伸二さん。
安芸高田市長に就任する前は三菱UFJ銀行に勤務し、退職されるまでアナリストとして勤務していました。
アナリストとは、次のような役割をしています。
アナリストとは、証券会社や銀行などの金融機関や投資顧問会社などに所属し、企業の増資や新製品開発の動向、収益や経営状態、そして国内外の全般的な経済、政治情勢など、幅広いデータや情報を調査・分析して、株価の評価や金融の将来予測を行うスペシャリストだ。
マイナビジョン
石丸伸二さたたは2014年の為替アナリストとして2020年7月の三菱UFJ銀行を退職されるまで、活躍していました。
三菱UFJ銀行に入社した動機は
石丸伸二さんが三菱UFJ銀行に入社する動機は明かしていません。
ただ、大学卒業後に大道芸人になるか就職するか迷っていたそうです。
そこまで三菱UFJ銀行に入りたかったわけではなさそうですね。
三菱UFJ銀行にいた頃は過酷だった
石丸伸二さんは三菱UFJ銀行に勤務している頃はどうだったでしょうか?
インタビューでは銀行員にいた当時は非常にきつかったと明かしていました。
また、石丸伸二さんは銀行員時代の経験から少しのミスを起こすのは許されない、信用を商売にするのは当然だとXで投稿していました。
三菱UFJ銀行時代から使用しているアイテム
ちなみに石丸伸二さんは銀行員時代から使用しているアイテムがございます。
キックボードとネームプレートです。
キックボードで通勤とはなかなかユニークな考えの人ですね。
石丸伸二の三菱UFJ銀行での経歴
三菱UFJ時代の経歴まとめ
石丸伸二さんの三菱UFJ銀行の経歴をまとめました。
- 2006年4月三菱UFJ銀行に入社
- 姫路支店に配属
- 2008年(もしくは2009年)アナリスト分析調査に異動
- 2014年に為替アナリストに赴任
- 2020年7月三菱UFJ銀行を退社
初めは姫路支店
石丸伸二さんは2006年4月に京都大学を卒業後、三菱UFJ銀行に入社しました。
最初に配属されたのが姫路支店。
そこで2年半ほど法人営業を経験してきました。
異動後様々な仕事を任される
その後、アナリストを分析調査する部署に異動。
最初に携わったのはマクロ経済の分析をしました。
マクロ分析とは以下のことをいいます。
一国・地域全体の経済活動のことで、政府、企業、家計を総体として捉える経済の見方。GDPなどの経済成長率、消費者物価指数などの物価指数、景気動向指数、失業率などといった経済指標を用いて、経済を数値的に捉えて分析、予測するのが特徴。
三菱UFJモルガンスタンレー証券
そして経済に関する諸問題について調査や分析、予測する専門家のエコノミスト、債券市場のアナリストも務めていました。
為替アナリストとして海外赴任
2014年に為替アナリストに赴任。
4年半ほどニューヨーク駐在を経験しました。
加えてカナダからメキシコ、パナマ、ペルー、コロンビア、ブラジル、アルゼンチン、チリまで、合わせて9カ国をまわってきた石丸伸二さん。
海外赴任は死ぬほど辛かったけど、振り返ってみればかけがえのない財産になったと言っていました。
石丸伸二の三菱UFJ銀行の年収はどのくらい?
石丸伸二さんの三菱UFJ銀行時代の年収はどのくらいあったのでしょうか?
各企業の口コミサイトを参照にしました。
年齢 | 平均年収 | 最高年収 | 回答人数 |
---|---|---|---|
25~29歳 | 522万円 | 1000万円 | 196人 |
30~34歳 | 708万円 | 1500万円 | 149人 |
35~39歳 | 759万円 | 2000万円 | 112人 |
40~44歳 | 773万円 | 1500万円 | 58人 |
45~49歳 | 1008万円 | 2000万円 | 36人 |
50~54歳 | 1254万円 | 2200万円 | 90人 |
55~59歳 | 1211万円 | 2000万円 | 36人 |
石丸伸二さんくらいの年齢だと最高年収2000万円くらいになります。
海外赴任に任されるほどだから2000万ほどではなくとも相当な収入があったでしょう。
今回は石丸伸二さんの三菱UFJ銀行の役職などを紹介しました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。