現在オリンピックの日本代表に選ばれたバスケットボールの選手・河村勇輝さん。
河村勇輝さんはバスケだけでなく、仲間のプレーを上げていく知力でも優れた選手でした。
彼は、元々プロの選手ではなく親と同じ教師を目指すほど勉強もできる人なのがわかりました。
こんかいは、河村勇輝さんの学歴を小学生から大学の中退までまとめて紹介したいと思います。
大学を中退したのはパリ五輪と成績不調のため
東海大学に入学した河村勇輝さん。
2022年3月の大学2年生で東海大学を中退しました。
河村勇輝さんは会見でこう語っています。
「日本を代表するPGとなり、2年後のパリ五輪出場が僕の目標です。目標に近づくためにどうするか考えて、この決断に至りました」
Yahooニュース
河村勇輝さんが東海大学を中退した理由は以下のとおりです。
- Bリーグでの成績不調
- パリ五輪に出場するため
昨シーズンはファン・ブースターの皆さんの期待に応える活躍ができず、悔しい思いをさせてしまいました。その借りを返したい気持ちがあったからです
Yahooニュース
2021-2022シーズンの横浜ビー・コルセアーズの成績では得点平均6.0、3ポイントシュート成功率20.5%と思うような結果を出せませんでした。
そこで成績を上げパリ五輪に出場するために、プロとしてバスケに専念したのです。
中退しバスケに専念した成果が出たのか、Bリーグでは横浜ビー・コルセアーズが2位、MVP、ベストファイブ、新人賞などを受賞しました。
河村勇輝の小学校はどこ?
河村勇輝の出身校:柳井小学校(有力)
河村勇輝さんの小学校は公開されていませんが、地元が山口県柳井市なので柳井小学校が有力ではないかと思われます。
河村勇輝さんの出身校・柳井中学校から距離が近いからです。
河村勇輝さんがバスケを始めたきっかけは元バスケットボール選手だったお父さんの影響でした。
河村勇輝さんの家の庭にはバスケのゴールがありましたが、元々は遊びのためでした。
初めは地元の野球チームに入ろうとした河村勇輝さん。
ところがグッズを見てもピンとくる物がなく、近くにあったバスケのユニホームがかっこよかったので、バスケに変えたそうです。
小学2年生で地元のバスケチームに
チームに加入してわずか1週間後、プレーの激しさ、戦いのおもしろさに魅了され、バスケットボールの虜になりました。
そして小学6年生の頃、全国ミニバスケ大会で優勝しました。
4年生になり、上級生チームの一員として実戦を多く経験するようになると、河村は一気にバスケットボールにのめりこんだ。父が作ってくれた自宅のゴールで自主練習に打ち込み、小学6年生のときは自らに1日1000本のシューティングを課した。チームは16年ぶりに全国大会に出場。
ASICS
河村勇輝の出身校:柳井中学校
部活と勉強漬けだった中学時代
柳井市立柳井中学校 〒742-0021 山口県柳井市柳井4155
河村勇輝さんの中学校は柳井市立柳井中学校でした。
柳井中学校のバスケ部はそこまで強豪校ではありませんが、同校の教師である河村勇輝さんのお父さんが顧問を担当していました。
中学時代の河村勇輝さんは部活と勉強漬けの日々でした。
週3回塾に通い、200人の同級生のなかで1桁台をキープしてきたそうです。
大変な努力家ですね。
全国大会16位に導く
ところが、部活動では中国大会で倉敷市立玉島北中学校のチームに敗れたことで、挫折を味わいます。
そこで、キャプテンになった河村勇輝さんは全国大会ベスト16位にまで導きました。
その改善策は生徒たちに話し合いの場を聞きながらモチベーションを上げていたそうです。
バスケだけでなく頭も良いのですね。
河村勇輝の出身校:福岡第一高等学校
コーチからのスカウトで進学
福岡第一高等学校 〒815-0037 福岡県福岡市南区玉川町22−1
河村勇輝さんの高校は福岡第一高等学校でした。
福岡第一高校のバスケ部は全国から集まる強豪校です。
河村勇輝さんが福岡第一高校に進学したのは、顧問の井手口孝コーチにスカウトされたからでした。
やっぱり地元の高校に行くのが現実的だと思っていたし、普通の人生を歩むことが親孝行だと思っていたので、福岡第一に行くのは自分勝手なんじゃないかと思ったんです
ASICS
しかし、地元の進学校に入学し体育の先生になることで現実的な将来を考えていた河村勇輝さん。
初めは迷ったのですが、12月になるかならないかのタイミングで福岡第一高校に進学することを決意したのでした。
日本代表に選抜
河村勇輝さんは福岡第一高校では全国大会で4回タイトルを獲得、ウィンターカップでは2連覇を達成し、ベストファイブにまで選ばれました。
さらにアジア選手権大会では2度も日本代表に選ばれています。
- FIBA U16アジア選手権大会2017 日本代表 第6位
- FIBA U18アジア選手権大会2018 日本代表 第5位
あの日本代表の富樫勇樹さんとも対峙していたそうです。
高校3年にはキャプテンに選ばれ、三遠ネオフェニックス史上最年少で特別選手に加入しました。
このたび、三遠ネオフェニックスは河村勇輝選手(福岡第一高校)と2019-20シーズンの特別指定選手契約を合意いたしましたので、お知らせいたします。契約合意に伴いまして下記の通り入団会見を開催いたしますので、併せてお知らせいたします。
https://www.neophoenix.jp/news/detail/id=15857
高校時代からの彼女:中森美琴
そういえば河村勇輝さんの彼女は『PRODUCE 101 JAPAN THE GIRLS』に出場してた中森美琴さんですよね。
中森美琴さんとは高校時代からの付き合いだったのがFRIDAYで報じられていました。
高校時代から河村と中森さんが交際していること、当該の日に二人が会っていたのは事実です。河村からは『高校生の時から長く大切な存在で、お互い夢に向かって進んでいる中で良いお付き合いをさせて頂いています』と聞いています
FRIDAY
河村勇輝の出身校:東海大学
大学を選んだ理由
2020年4月に河村勇輝さんは東海大学に進学しました。
Bリーグの特別指定選手として経験し、いまの身体ではBリーグの舞台で活躍することや日本代表のポイントガードになることはやはり難しいということ実感し、大学へ進学することに決めました。
その経験から、数ある大学のなかでもバスケット環境はもちろんトレーニング環境も素晴らしく、さらには陸川先生のもとでバスケットを教わることでバスケットIQだけでなく人間力も鍛えられるということで、自分には東海大学しかないと感じました。
citta
コロナでの自粛生活
そして大学のバスケ部『シーガルス』に入部した河村勇輝さんですが、入学直後のコロナによる自粛生活でバスケができませんでした。
そんな状況のなかでも尊敬する選手のプレーの映像をチェックしたり、東海大学の先輩ポイントガードのもとへ通いつめたり、フィジカル面でのトレーニングにも向き合ったりとバスケットIQや戦術面や連携、フィジカル面でのトレーニングも磨いていきました。
特別指定選手に選ばれる
バスケ部では1年生でレギュラーを獲得し、2020年11月27日には楽天とマネジメント契約、フォーブスジャパンによる”フォーブス30アンダー30”に選ばれた河村勇輝さん。
東海大学の2年ぶりの優勝にも貢献し、3ポイント王を獲得しました。
2020年12月19日には『横浜ビー・コルセアーズ』の特別指定選手の加入が決まった河村勇輝さん。
2021年2月28日には特別指定選手の活動を終了しましたが、大学2年の関東大学リーグ戦では優秀選手賞とアシスト王を受賞、インカレでは東海大学のメンバーとして準優勝し、またアシスト王を受賞しました。
を2021年12月20日は前年に続き横浜ビー・コルセアーズに特別指定選手としての入団が発表され、2022年2月7日に第19回アジア競技大会の男子日本代表候補選手に選ばれています。
2022年3月3日には、東海大学を中退しました。
今回は、河村勇輝さんの学歴についてまとめて紹介しました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。